「家父長制と資本制」上野千鶴子

家族や自然は市場の外部かもしれないが、そのような外部こそ資本主義の対象である。

本源的蓄積が土地の収奪によって実現したように。

場の理論を記述したマルクスが家父長制を視野に入れていないからといって理論の「頓挫」を意味しないが、マルクス主義を扱う側には家父長制の議論を回避する傾向が確実にある。

労働者と資本家の階級闘争がより複雑化しているのと同様に、男女の階級闘争も困難になりつつあるのではないか。富裕層の主婦が夫や子どもに軽蔑され幽閉されているのに対し、貧困層は「主婦」にすらなれず複数のパートを掛け持ちしている。

問題なのは男性による女性の抑圧によって利益を得ているのは当の男性ではなく、男性の帰属先という構造だろう。

抑圧された女性にとって問題は構造であるが、しかし敵はつねに男性なのだ。

そう考えなければ女性が主体的に行動する気力すら湧いてこないだろう。

構造と主体の矛盾が大きくなっている

構造はあまりに大きいため、敵対の対象にはならないのだろう。

だから結局資本主義にも外部はない。