反核異論 吉本隆明

吉本は「資本主義的な生産社会様式はまったく未知な新しい段階にはいっている(P119)」とするが、反核運動を「社会ファシズム」であり「反動」であるとして批判する吉本自身の党派性もまた旧来的な構造に由来しているように思える。

カタストロフィ―の滑稽さを踏まえた上で反核反核の不可能性について考えなければその運動の息苦しさを「魂の公然たる自由さ(P149)」によって解くこともできない。

鮎川の「ある意味ではぼくは気楽なもので、明日人類が絶滅しても別に驚かないんだよ(P253)」と言い切る傍観者性は白けはてた無関心派の個人主義の最たる例といえるが、その無関心さは個人主義の「個」が未熟な社会において容易に左右の反動として表れるのである。

吉本の消費社会への楽観的展望が大衆の表面的な無関心さの裏側のある種の切実さをより見えにくくしていると分かる。