「コスモポリタニズム」ハーヴェイ

ハーヴェイはマーサ・ヌスバウムが提唱するコスモポリタン的教育体系(p28)には地理学的理論が不可欠な一部として組み込まれなければならない(p493)とする。

カントが明示的に論じたように地理学と人間学はすべての知識の可能性の条件だからである(p42)。しかしカントは未成年状態を設定し、国民、賤民、暴民と区分けしたのちにどの区分に基づくかは合理的行動の規範的概念に基づく個人の成熟次第とされる(p53)

ハーヴェイはカントの実証主義的枠組みを放棄した上で空間、場所、環境という3つの概念領域を必要とする(p444)

環境は社会生態学弁証法を構成する6つの契機により動的相互関係(共進化)、時空間性は絶対的・相対的・関係的な時空間の弁証法、場所と地域は相対的永続性として理解される(p445)

確かにハイデガー本質主義的場所には抽象性があり人間を植物に例える普遍性は自由主義新自由主義理論と相性が良くワーズワースのパンフレット(p336)のようなエコツーリズムに回収されるであろうことは想像に難くない。

しかしハーヴェイが弁証法で否定する根無し草的生活は絶対的・相対的・関係的な時空間の弁証法をも把握困難にする流動性と不確実性への関心の高まり(p447)の結果である。ハーヴェイは時間と空間の理解方法として関係性を重視しすぎており、根無し草の没場所性をハイデガー同様に軽視している。

新たな時空間的秩序の出現に気づかず戦争へ突入したという第一世界大戦(p483)が繰り返されるのは絶対的な時空間の認識が状況依存的でない事実を示唆している。

運輸・通信における急激な相対的変化は競争の激化を招き、国家間均衡の展望の可能性を下げる(p486)というが既存の国際的な枠組みや市場における解決に対する過小評価がうかがえる。

ハーヴェイの新自由主義のとらえ方は絶対的空間と相対的空間の使い分けであると思われるが表象の空間や関係的空間への言及は不足している。新自由主義と絶対的空間の関係性にある種の曖昧さを与え、弁証法に中立的な印象を付け加えてしまっている。