「二・二六事件を読み直す」堀真清

青年将校に同情する著者は、皇軍派と西田派を分離した上で、後者の「純潔」を称賛している。二・二六事件以後に「幕僚ファッショ」による上からのファシズムが実行されたという記述は、青年将校の代弁といえる。 しかし、彼らの「革新の勇気と情熱」を称揚す…

「消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神」橋本努

モノを捨てる背景にはスマートフォンやインターネットの普及による資本を必要としないデータの流通がある。ミニマリズムとはデータの流通に資本を介在させない消費と言い換えることができるだろう。 脱資本主義の可能性としては、禅や共産主義等が参照される…

「人類最期の日々」クラウス

人類の最期とはキリスト教文明の最後の姿としての第一次世界大戦を指す。 カール・クラウス(不平家)はドイツやオーストリア同盟国側の戦争をトイレットペーパーにシェイクスピアの引用を印刷するような「野蛮性の生ける印」として批判するが、イギリスは「…

「貧困の基本形態」ポーガム

貧困とは「貧しいだけでそれ以外の何ものでもない」というジンメルとポーガムの定義は南欧において矛盾しているだろう。 依存を経験する人々は親としてのアイデンティティや、相互扶助によって自らの挫折を埋め合わせようとし、これは統合された貧困が降格す…

「黒魔術による世界の没落」クラウス

ジャーナリズムの「装飾」を「あらゆることがあたかもなのだ」と批判するクラウスは、文芸欄に広告が掲載されることよりも広告がポエジーによって装飾されることをより問題視している。 例えばジャーナリズム的感性の源流となったハイネの詩である。 「娘さ…

「ロシア革命」トロツキー

歴史過程のメカニズムの中において個人的なものの意義は薔薇の香りであり、この香りは薔薇を生育する土壌の成分が無くなったとしても失われるものではない。 この前提を踏まえた上で、出来事はそれ自身の法則性に従っていなければならないとされる。 二つの…

「史上最大の革命」ローベルト・ゲルヴァルト

本書の基本的な軸として陸の帝国の崩壊と国民国家の誕生、民族自決権の矛盾としての少数民族問題が挙げられるだろう。 ゲルヴァルトはドイツ革命を史上最大の革命としながら、ローザ・ルクセンブルクの殺害描写等は彼の革命に対するシニカルな両義的姿勢を表…

「夢遊病者たち」クラーク

クラークは責任問題を提起した者の責任を追及していないだろうか。 仮にドイツが紛争の局地化を「望んでいた」としても、それはドイツがオーストリアのセルビアに対する戦争をコントロールする立場[裏で糸を引く]にいたことを意味しておりそれこそ露仏同盟…

「夢遊病者たち」クリストファー・クラーク

第一次世界大戦が発生し「世界大戦」にまで拡大した原因として①文民支配に対する軍部の自立化と②軍部の自立に関する「誤認と偽りの自己演出」が事態を不透明にしたと考えられている。ドイツがイギリス-ロシア間の協商関係を誤認したのも「事態の不透明性」…

「時間と権力」クリストファー・クラーク

フリードリヒ・ヴィルヘルムからアドルフ・ヒトラーに至る権力者たちがいかなる時間秩序を構築し、また時間論的転回に翻弄されたかを描いている。 「哲人王」フリードリヒ2世はアントワーヌ・ヴァトーの「決してない」と「常にある」が奇妙に調和した絵画を…

「改革か革命か」グレーバー、セドラチェク

共産主義に始まり資本主義で終わるゲームには円環構造がある。 経済学が宗教であるのも、この円環が原因だろう。 ウェストミンスターの信仰告白。 倫理学と経済学の間に主体なき主体の生がある。 コンテクストから引き離されたがゆえに、もう誰も利用しなく…

「家父長制と資本制」上野千鶴子

家族や自然は市場の外部かもしれないが、そのような外部こそ資本主義の対象である。 本源的蓄積が土地の収奪によって実現したように。 市場の理論を記述したマルクスが家父長制を視野に入れていないからといって理論の「頓挫」を意味しないが、マルクス主義…

「大衆の侮蔑」スローターダイク

民主主義において大衆は互いに侮蔑を通してしか関わり合いを持てない。これは相違がいかなる差別を作り出さない前提の上で区別(競争)が行われたため、その結果である近代自体への無関心=非差異を社会の平準とするためである。ここにおいて自分を他人より…

「城」フランツ・カフカ、新潮社、1981年

カフカの「城」は①Kが誰かという問いと、②フリーダの真意の二つを巡る物語であると考えられる。①の問題で最も重要な観点は「Kが測量士ではない」ことだろう。Kの非測量士性は「してみると城はやはり彼を測量士に任命したわけだ。これは一面ではKにとって具合…

「空震」スローターダイク(03年7月)

「空気の申し子」としての人間は後見人として「雲」を持っていた。「雲」とは地表において生命の存続を可能にするため、太陽の短波のエネルギーが長波の赤外線として反射されるのを防い水蒸気と温室効果ガスである。1919年4月22日にドイツ軍が使用し…

「魔の木」スローターダイク

主人公のヤン・ファン・ライデンは心理学を志しウィーンからビュザンシーまで旅をするがピュイゼギュール侯爵の動物磁気療法を受けている最中にフランス革命に遭遇する。フランス革命=人工的な夢遊状態としてファン・ライデンが経験した新しい流体理論は彼…

「人間園の規則」スローターダイク

訳者である仲正昌樹の党派性しか見えていないような前書きから始まり「コード体系」そのものよりも「飼い慣らし」と「野獣化」の対立軸に終始するスローターダイクの本文、アレックス・デミロヴィッチによるスローターダイクの「ルサンチマン」の粗探しや「…

シニカル理性批判

シニシズムは「現代に特有の曖昧な薄明状態」であり「啓蒙された虚偽意識」である。シニシズムとは敵を徹底的に物象化するマルクス主義や「夜への意志」によって権力を獲得したファシズムを含む全体論的傾向である。シニシズム批判としてスローターダイクが…

反核異論 吉本隆明

吉本は「資本主義的な生産社会様式はまったく未知な新しい段階にはいっている(P119)」とするが、反核運動を「社会ファシズム」であり「反動」であるとして批判する吉本自身の党派性もまた旧来的な構造に由来しているように思える。 カタストロフィ―の滑…

「人新世の資本論」斎藤幸平 

筆者によれば気候変動問題によって従来隠蔽されていた帝国的生産様式は暴かれた。この生産様式はグローバルノースで豊かな生活を実現するために、グローバルサウスにその負担を外部化し押し付ける構造に寄与している。 なぜこのような搾取が存在するかという…

「ビラヴド」トニ・モリスン

ビラヴド自身もセサやベビー・サッグスに相当する奴隷制の経験を背負っていると思われるが、ビラヴド視点での歴史は断片的な印象として語られるのみである。そのためベビー・サッグスの思い出に触発された「開拓地」の合唱がビラヴドを追い出してしまうラス…

「可愛そうにね、元気くん」古宮海

演じられる嘘としての恋愛とそれを超越した真実としての支配は対立している。前者が八千緑と廣田であり、後者はこの物語を最後まで支配(理解)していた鷺沢である。 鷺沢守は廣田元気が同人誌の被写体・八千緑と恋人関係になり、「理想的」な恋人を演じるこ…

「バービー」イ・サンウ

タイトルのバービーとはスジョンやバービーが大事にしている人形であり、これはスジョンや叔父が憧れているアメリカ人、マンウに言わせれば「宇宙人」、のイメージといえる。 主人公のスニョン(キム・セロン)は叔父の経営する海辺の民宿を手伝うことで父マ…

「ブルシットジョブ」デヴィッド・グレーバー

ブルシットジョブとは生産の自動化によりダミージョブとして生み出された情報労働である(p338)。公務員のような政府部門だけではなく民間部門においても無用な事務作業や管理業務が生み出されるのは「経済の内実がたんなる略奪品の分配方法と化している(…

「あなたが消された未来」ジョージ・エストライク

本書は生殖細胞系を編集するテクノロジーがそのあまりにユートピア的な語り口を通して身体や身体が存在することの意味を変えてしまう点について論じている。自身の娘であるローラの将来を心配する父親として、彼女を「できそこないの遺伝コードのたんなる一…

「超高層のバベル」見田

「重要なのはマスコミがなぜ報道するのか(p185)」というがサカキバラ事件のような不可解な事件を取り上げるメディアの不可解な権力性には無自覚である。 見田の社会分析には階級構造がすっぽり抜け落ちている。それが社会学という分野なのかもしれないが…

「民主主義の非西洋起源」グレーバー

グレーバーはイロコイ部族連合や海賊船の事例を出してハンティントン的「西洋的伝統」の優位性を相対化してみるが、「ヨーロッパ諸国が勢力を拡大し、大西洋システムが全世界を包み込んでいくにつれて、地球規模の影響力を持つものはすべて、それら各国の首…

「アウシュヴィッツのコーヒー」臼井隆一郎

筆者はナチスのユダヤ人絶滅政策をゲルマニア帝国の延長として捉えており、ドイツ領東アフリカで起きたマジマジ反乱の鎮圧にその先行事例を見出している。 一方でナチスが参考にしたゲルマニア帝国という目標を設定し「総力戦」の概念を形にしたルーデンドル…

「言語の牢獄」ジェイムソン

ジェイムソンはソシュール、フォルマリズムの「共時・通時の対比」を経て構造主義の批判に至る。 言語の牢獄とは「構造分析が対象言語の位に移り、それがもっと複雑な体系に吸収され今度はその体系がそれを説明する(p219)」というメタ言語の「無限の構…

「時代病」吉本隆明・高岡健

高岡は上野千鶴子の授業で女子生徒全員が性的被害があると手を挙げたことに関して実際の被害経験ではなくバーチャルリアリティの被害なのだと断定するが、だとするならばなぜバーチャルな場ではなく現実の場において手を挙げて告白しているのか。バーチャル…