「人類最期の日々」クラウス

人類の最期とはキリスト教文明の最後の姿としての第一次世界大戦を指す。

カール・クラウス(不平家)はドイツやオーストリア同盟国側の戦争をトイレットペーパーにシェイクスピアの引用を印刷するような「野蛮性の生ける印」として批判するが、イギリスは「商売をしたいときにそれを祖国愛と呼ばない」清潔さを持っていると評価している。ランス大聖堂を爆破されたフランスや捕虜を虐殺されるロシアに対してもクラウスは同情的であり、自国には手厳しい批判を加えている。

クラウスの批判は不平家の理論としての側面と民衆の生活描写という諷刺の側面に分かれる。戦争ごっこをする子どもや塹壕を子どもの遊び場のように理解するジャーナリスト等、「悪魔も身震いする」ような描写こそ、クラウスの批判の本領かもしれない。

腕を無くしたために敬礼が出来ない傷痍軍人、戦争に浮かれた群衆の中で「スミレをどうぞ」と叫ぶ花売り女、「他人の意見など要らない。お前の言葉が聞きたいんだ」と戦場から手紙を寄越す兵士。戦時中の人々の悪趣味さを描いたこの作品の中にも、わずかながら最期を飾るのに相応しい言葉がある。