「消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神」橋本努

モノを捨てる背景にはスマートフォンやインターネットの普及による資本を必要としないデータの流通がある。ミニマリズムとはデータの流通に資本を介在させない消費と言い換えることができるだろう。

脱資本主義の可能性としては、禅や共産主義等が参照されるが、解決策がそのようなイデオロギーであるための理由とは何だろうか。禅や共産主義も究極の消費としての自己消費の一環なのではないか。

ポスト消費社会で物質消費は増加したように、脱資本主義の社会においても資本主義のエートスは持続するのではないだろうか。

禅のような自他を達観した見地からでは、欲望消費が持つ熱量(狂奔)を説明できないと思われる。