未来のルーシー 中沢新一・山極寿一

京都学派の現代的焼き増しといえる本書の観点は認知革命以前のレンマの重視が西洋的合理主義、因果論へのアンチテーゼとなっている。

フェルマーの定理で光が最短距離をとることが物質の中にある目的論的構造(p158)だとするとモノと人間に連続性がある(付喪神)視点からグローバリズム=世界のモノ化の進行は必然の過程である。

中沢は「資本主義を根本的に変えていくのは革命ではなくそちら(華厳の事理無碍法界)なのではないか(p223)」と述べるが物質に目的論的構造がある以上、細胞内共生も目的論に基づいた合理的選択だったといえる。

マルクスが自然を非有機的身体ととらえ、人間を有機的自然ととらえた相互規定性こそが弁証法=革命である。彼らの「革命」の理解も表層的で現実逃避的である。

短歌の中に心がありそれを感じることができるというが、実体あるものにすべて界面があるのであれば当時と異なる環境で短歌の中に見出される心という界面は自身の心の投影に過ぎない。日本における動物愛護の問題も自己投影としての心であるため家畜は対象外である。

また西洋的知性に対して東洋的自然観を対置する視点も著者たちが懸念している均質化した世界においては時代錯誤以外の何物でもない。

バンビの脱中心化やアニメのあいだの思想を称揚しているがどちらもコモディディとしてのグローバル商品である事実に関しては無批判である。