「移民とAIは日本を変えるか」翁邦雄

「女性や高齢者の労働供給が弾力的になされていなければ、賃金上昇はより大きくなっていたと考えられる」(p46)というが、女性や高齢者のような移民ではない人々の労働参加が賃金を低下させているなら、それは移民の問題ではない。

「彼(ハルバリアン)は1950年に米国国勢調査局がリストアップした250の職業の中でその後完全に消えた唯一の仕事はエレベーターのオペレーターだけだ、と述べている」(p148)とAIの普及による大失業を杞憂とされるが、基地局の交換士や製造業の様々な工程の労働者がアウトソーシング・自動化され「完全」ではないにせよ消滅した点を軽視している。

「人間は日々口ではうまく説明できないが実行方法を理解していることでタスクをこなしている」(p162)が、「暗黙知」を不要とする方向で技術や社会が進展した場合、人間の優位性は損なわれる。AIとの競争という観点が欠如している。

作者の移民や外国人労働者への偏見を示す事例として、日本語能力の欠如した外国人の犯罪傾向を紹介した箇所が挙げられる。筆者によれば「日本語能力の不足は外国人を犯罪に向かわせる可能性にもつながる」らしいが、彼の取り上げる犯罪とは不法滞在のことであり日本の技能実習制度が雇用主を変えることができず、労働契約の不当性を隠蔽するために「日本語能力の不足」した労働者を雇用している事実を忘却してしまっている。

極めつけはボージャスの言葉を引用して移民の財政収支に与える影響について「こうした計算結果が役に立たない」(p50)ことに同意しているが、少し前の個所で女性や高齢者が賃金を下げているという計算結果を移民政策の負の側面として取り上げたことに矛盾する。

この本は経済学者の政治観や経済観がいかに表層的なものかをよく表している。