皇室予算の推移

皇室の予算は71年間で626倍、物価は33.2倍になっている。

つまり皇室予算は物価の18.8倍のスピードで増額されてきたということである。

安倍政権の7年間だけ見ても皇室予算は73億円増えている。その一方で社会保障費は7年間で4.2兆円減少している。

これで明らかなように、国は貧困・格差対策よりも先に、皇室の威信を高めることに優先順位を置いている。

皇室予算が19年240億円を計上しているのは大嘗祭などの儀礼費用がかさむからだが前回の大嘗祭が行われた1990年と比較しても85億円予算が増えている。現在の天皇制はかつてないほど皇室の権威を金の力で高めている。そしてこれらはすべて国費である。明らかに憲法20条「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」との規定に抵触している。

しかし最高裁判例によれば政権分離の基準には目的効果基準が適用される。政教分離規定は制度的保障の規定であるため、一定の限界があり国の社会的・文化的諸条件に照らし信教の自由との関係で問題となる。目的効果が「相当」を超えるもの以外は「儀礼」なので規制しない。だから大嘗祭に知事が出席するのは「儀礼」なのでOKらしい。

この判例は戦前の「神道は宗教に非ず、国家の祭祀道徳である」という政府の神道非宗教説そのものではないか。戦後70年たっても天皇国家神道の法的位置づけが司法において変わってない事実こそが異常である。

今回の道徳教育の教科化も道徳=神道と考えれば過剰に集団や組織に忠義を尽す奴隷(内なる天皇制)を作るのための刷り込みに他ならない。道徳教育の一環で佐賀県の便器を素手で洗う子供が洗剤や手袋を使って合理的にトイレ掃除をする日はくるのだろうか?自分自身で判断し工夫や知恵を使わせるための教育よりも大人の自己満足のために個や多様性を殺す道徳教育(奴隷教育)を多久市は行っている。

道徳=奴隷教育で政府の威信や天皇の権威を片時も疑うことができない人間家畜には少子化や高齢化といった長期的視野に立った政治決定ができない。天皇制は外からの近代化を機能させる洗脳装置であるため、国内的な矛盾(高齢化と人手不足)を解決する術を総動員意外にもたないのだ。だから天皇は再びグローバル資本主義(外からの近代化)の洗脳装置になる。天皇は「フィリピン人やベトナム人を社会の一員として温かく迎える」というが7割の事業所で労基法違反の低賃金で働かされる彼等を「社会の一員として温かく迎える」ことは出来ない

少なくとも20年間変わることが無かった。皇室予算を増やし続ける一方、可処分所得が減り続ける国の優先順位は天皇制を解体しない限り変えられない。

今の社会の格差や貧困が拡大していけば適者生存の社会が実現する。「要らない」人間を強制的に安楽死させる社会である。低所得者や高齢者は「社会不適」の烙印を押され、尊厳の無い生き方の代わりに尊厳ある死を与えられる。そして尊厳死を与えてくれた天皇政府に人間家畜は天皇万歳と感謝の言葉を述べなければならない。

天皇に色々な願望を投影する妄想狂は多くいるが、彼らはかならず「こんなはずじゃなかった!」と後悔するだろう。なぜなら天皇とは共同幻想であり、彼らの願望は自己幻想であるからだ。共同幻想は自己幻想を逆立し抽象化することで成立する。天皇制の共同幻想(国体)の特徴はいくらでも庶民生活や自己幻想を犠牲にできる点である。天皇ポツダム宣言不受諾で、広島長崎に原爆が落ちた事実を忘れてはならない。

他にも特攻隊は自己幻想を捨て靖国神社という共同幻想のために死に追いやられた。彼等はいまだに分祀すらされていない。

 天皇制を廃止しなければ、もう手遅れである。