トロッコ問題の正解
岩国市の小学校でトロッコ問題の授業をやり、校長が謝罪した。
「5人を救えるなら1人を犠牲にしても構わない。なぜなら5人の方が1人より多いから。」
この小学生でも分かる解答が保護者にも学校関係者にも完全に正解に思えたから、彼らは不安のクレームが入れ、校長は謝罪したのだろう。
しかしこの正しい解答は本当に正しいだろうか。
合理的に判断すれば5人>1人なので1人を犠牲するのは間違いなく正解だろう。問題なのは人間という存在がどこまで合理的かだ。
5人を優先させた合理的判断は同じような状況になれば次は4人>1人の選択をし、最後の1人を優先させるまで同じように1人を犠牲に続けるだろう。
個々の判断(5>1、4>1、・・・)は合理的でも最終的には1人のために4人を犠牲にした非合理的な結果だけが残る。
人間という不条理な存在はそう簡単に合理性で割り切れるものではないし、割り切ったようにみえてもそのような合理的判断は簡単に非合理にひっくり返ってしまう。
そもそも5人のために1人を犠牲にするのは可能なのか、という問題もある。
無関係な5人と自分の家族や恋人、親友としての1人だったら、誰でも1人を犠牲にする事を躊躇う。
5人>1人はこれらの個性や相互の関係性や背景をすべて捨象しなければ成り立たない。
5人も1人も無関係な他人だったとしても、5人>1人が命の選別を単なる数字の問題にしてしまうのに対し、1人>5人は倫理的な問題を提起する。
5人>1人の論理が最後は優先的な1人にとって他の4人の排除を正当化する根拠であるのに対し、1人>5人の1人は5人の犠牲を永久の負債として抱え込むことになるのである。
どちらにしても1人しか残らないのであれば、可能性がある方を選ぶのが本当の正解だろう。