天皇制の性格

天皇制は共時的には自己疎外である。人間の自然化は現代においては市場化という自然的加工物への社会制度の解体として起きる。

類的本質としての天皇制は政治的危機の時代には自然の人間化よりも人間の自然化としての側面を強調してきたからこそ、自然の意識として存続できたのである。

保守リベラルの盲点は天皇制を利用する観点しか持たない点である。天皇制に自らが利用されることを念頭に置いていないためにどちらも人間の自然化によって生じる社会のの解体に加担している。この事実は自然化の意識が支配階級においても根治不可能であることを証明している。

市場化が推進される背景には、労働・生活の使用価値の抽象化【資本・産業構造の高度化】がある。内容と形式の根源的な対立は社会関係の解消によって完全に分離された【みなし労働時間制】ため、形式的に内容を肯定する手段【労働法による救済】は根本的な解決にはならない。

天皇制を類的本質として見た時、自然化の過程は新しい超自我【権力】を生み出すだろうが、その犠牲は不可逆的なものである。一方で、新しい超自我が再び失効すれば天皇制の自然化の過程は繰り返される。