人間の条件 ハンナ・アーレント

活動的生活の中で最高の地位を与えられた活動は古代ギリシアにおいてさえ可能性としてしか見いだせない。リアリティとしての出現の空間はアテネの栄光を永遠の記憶として物語を残したが、当の活動は危機に瀕して許しと約束による救済を求めている。

エスは人間がお互い同士を許し合わなければ神の許しはないと言ったが、決して許しえない根源悪が生命を過程として見る視点から生まれるとすれば人は神の許しを得ることも、自らの活動を救済することもできない。「生命そのものが不死である以上不死を求める努力は無意味」であり名声も「幻想」なのである。

宇宙の力を人間精神のパターンに移し、感覚と世界はともに失われ自分自身からも疎外された自分しかないのであればアーレント自身がこのパターンでは予測できない出来事や新しく始める奇跡を可能性として言及すること自体が不可能ではないか?

現代の社会からは労働する動物としての食欲と欲望しか得られないとしても、アーレントの言う活動の価値は失われていない。活動は他の活動力に立場を奪われ共通世界を失ったが、逆にそのことで歴史の必然性から本当の自由を得たと言える。

宇宙の力が生物学的過程をどの程度許容するかは未知数である。不死の世界を得るには生命を犠牲にしなければならない。この活動の教えは労働が生命過程となった今、活動の力が計り知れない事を表す。