「ブルシットジョブ」デヴィッド・グレーバー

ブルシットジョブとは生産の自動化によりダミージョブとして生み出された情報労働である(p338)。公務員のような政府部門だけではなく民間部門においても無用な事務作業や管理業務が生み出されるのは「経済の内実がたんなる略奪品の分配方法と化している(p318)」ために労働の目的は生産ではなく経営封建制による支配、労働のための労働という生活の犠牲を意味するようになっている。支配の原動力になっているのは生産労働者やケアリング労働者へのブルシットジョブ従事者の道徳羨望である。

グレーバーの解決策としては労働と生活の分離としての普遍的ベーシックインカムを提言するが、BI後に「自分の時間でなにか別のことをするか、それにかんして個人の意志に委ねられる(p360)」場合の道徳羨望はどうなるのか。

人間の構想力を制約するための規則がブルシットジョブを生み出しているが、ブルシットジョブの存在がその非効率性によって支配に貢献している限りにおいてこれらのジョブやジョブに携わる人間の総体は生産され続ける。人々の構想力はそのような支配の抵抗として存在しているとすれば、貧困に携わるNPOがブルシットジョブ化しているように、構想力自体が近代的仕事の逆説によって生み出されていると思われる。ケアリング労働者の反乱が困難であるのはこの逆説の構造に構想力自体が依存しているためではないだろうか。