「バービー」イ・サンウ

タイトルのバービーとはスジョンやバービーが大事にしている人形であり、これはスジョンや叔父が憧れているアメリカ人、マンウに言わせれば「宇宙人」、のイメージといえる。

主人公のスニョン(キム・セロン)は叔父の経営する海辺の民宿を手伝うことで父マンウと妹スジョンの家計を支える。

そんなスニョンの元に叔父が壮年のアメリカ人男性スティーブとその娘バービーを連れてくる。叔父が空港で二人を迎える際にまずバービーの後ろ姿が映し出されるその髪型のせいか頭が異様に大きく見え、左右にゆらゆらと歩いている様は宇宙人というにはあまりに不気味である。

叔父は食事をしていたスニョンたちにスティーブを「アメリカのパパ」として紹介する。見慣れない外国人であるバービーを目にしたマンウは彼女に食べていた食事を差し出そうとするがスティーブは「犬の餌」だと思いマンウの手からスプーンを叩き落とす。一瞬映し出されるスニョンの驚いた表情。スティーブの拒絶はスニョンが作ったであろう食事だけではなくマンウたちとの「貧しい」生活を全否定するものであるが、言葉が分からないがゆえにその拒絶の意味は伝わっていないようにみえる。

近所の子供とのトラブルを通じて、徐々に打ち解けていくスニョンとバービーであるが、元々スニョンが予定されていた養子にスジョンが名乗りを上げたことで事態は変化し残酷な真相が明らかになる。

スジョンが養子ではなくバービーの病身の妹のドナーとして選ばれたことを知ったバービーは喪服のような黒の服装でスニョンに会う。バービーはスジョンではなくスーの命を優先する自身の決断についてスニョンに話そうとするが英語を理解できないスニョンはスジョンを本当の妹のように可愛がって欲しいという。

当初はスティーブの英語が分からないことで真実を知らずに済んだスニョンは、終盤においてバービーの英語が理解できず、自身の言葉をバービーに伝えられないがゆえにスジョンを失うのである。

バービーの謝罪の手紙で事態の異常性を察知したスニョンは急いでバービーとスジョンを乗せた車を追いかけるが時はすでに遅く、空港のエスカレーターで上がっていくスジョンは視聴者に向かって笑顔でアメリカ国旗を振っている。

この映画の内にあるバービー人形=韓国人が抱くアメリカ人のイメージとは何だろうか。バービー人形に必ずなると言っていたスジョンは心臓のドナーとして自身の命と引き換えにスーというアメリカ人になったのだ。だからその意味では彼女の夢は最悪の形で実現したといえるが、バービーは当初は大切に髪を梳かしていたバービー人形の胸部を真相を知って以降は粗末に扱うようになっている。

バービーやスティーブのような裕福なアメリカ人にとってスジョンというバービー人形はしょせんは暇つぶしの玩具でしかないのだろう。バービーが父親から盗み取ったスジョンのパスポートを返却するときのスティーブの冷静さは彼がなぜバービーを韓国に連れてきてスニョンたちに会わせたのかを明らかにしていると考えられる。スティーブはバービーに身分の違いや人種の違いをスニョンを通して教えようとしたのではないだろうか。

バービーにスーの命とスジョンの命のどちらかを選ばせる行為は彼女自身に何かを得るには何かを犠牲にしなければならないというアメリカ的な世界のルールを教える上で、スティーブが必要と考えそうなアイデアではある。

しかしスニョンのように選択ができない立場に置かれた子供はそのルールの外で生きるほかない。叔父に児童労働者として扱われたり、民宿で宿泊客に襲われるシーンはその象徴だろう。実はマンウによってスニョンは守られているが、そのマンウも障害を抱えておりスジョンが叔父によって売られてしまう状況には無力である。

叔父が病身のスジョンではなく労働力になるスニョンをスティーブの養子にしようとしていたのはこのような過酷な環境からスニョンを出す方法が「身売り」しかないというもう一つの残酷な事実を明らかにしていると思われる。

叔父がスジョンがアメリカ行きを志願していることに強硬に反対しているのはおそらくスジョン同様、叔父もアメリカ人に憧れているためだろう。というよりスジョンがアメリカに憧れたのはこの叔父の影響が大きいのではないだろうか。

しかし、自らが実践で習得した英語を駆使してスティーブと渡り合おうとするこの叔父も心臓を取ったら人間が死ぬかどうかも分からない状態でスティーブに契約させられているのである。

病身のスジョン(おそらく叔父も)はアメリカ人への憧れによって生きる気力を得ていたのであるが、その強い思いが自身の死を招いてしまうのだ。