そろそろ左派は経済を語ろう ブレイディみかこ

経済を語るには現状を正しく認識しなければならない。この本の致命的な欠陥は今の状況を甘く見すぎていることだろう。

金融緩和は「ニューケインジアン」的なので良しとされるがアベノミクスは16年の物価目標2%を達成できていない。マネタリストの貨幣数量説を受け入れたニューケインジアン当座預金残高を法外に増やし資本家に利子という恩恵を与えている。

財政政策はどんどんやるべきだと述べるが、目的は短期的な経済成長〈需要の成長〉だという。かれらは今の需給ギャップがプラスだと知っているとしたら長期的な経済成長〈供給の成長〉を同時に実現するための具体的な方策を言う必要がある。財政政策の適正性をどう担保するのかという官僚制の問題はバブル崩壊のトラウマを抱えている日本社会にとって根本的な変革を要する。どんどん国債を刷ればいいというが今の国債の信用は個人資産に制限される。人間や社会が有限である以上、無から有は作り出せないのである〈どこかで別の負担が生じている〉。

彼等の経済的な素人談義の目的は左派2.0に対する批判に説得力をもたせるためだろうがそもそも2.0が下部構造を軽視〈?〉しているという見方自体に下部構造の欠片もみられない。マルクスがドイツイデオロギーで宗教を批判した時、彼は宗教が誤謬であり下部構造ではないからダメだと否定してはいない。マルクス資本論を書いたのは人がなぜ誤謬に陥るかという経緯を解明するには下部構造の分析が必要だったからだ。レーニンゴーゴリ神秘主義に対して批判めいたことを言わなかったのも同様である。宗教や誤謬はアヘンであると同時に精神なき時代の精神なのである。

アイデンティティポリティクスが宗教的な誤謬だとは思わない。彼らがなぜ1.0的な革命を放棄して陣地戦に移らざるを得なかったかはその時代的な背景や役割を含めて思想的な課題として応答するべきなのであって、野党が政権をとれないからアイデンティティポリティクスはダメだというのは単なる憶測である。

左派が間違った戦略を採っているとするブレイディ・北田・松尾の傲慢な見方は護憲派であるための下部構造や思想的課題が少なくとも70年間存続している事実を見ていない。そのような左派批判は甘えである。

欧米の左派が反緊縮だから日本も反緊縮というのは安易な追随主義に他ならない。日本固有の政治状況〈人口減少・デフレ・累積債務〉に対する具体的な対策は何一つ提示できていない。また資本の有機的構成の高度化というケインズ的前提を不可能にした変化に対する考察も皆無である。

「反緊縮派」は日本版ニューディールだの草の根だの下部構造だの言葉遊びをしている。下部構造の意味をはき違えている度合は2.0以上である。