子宮頸がんワクチンの副作用

副作用否定派は子宮頸がんワクチンの副作用は因果関係が証明されず統計的にも有意ではないという。因果関係が証明できないのであれば統計的にどの「指標」でもって有意になるか分からないではないか。

潜在的なリスクがあるこそ、厚労省はリスク回避のために接種推奨の一時差し控えを決定したのだろう。情報の非対称性があったとしても、権力の構造は誰しも日々実感しているので、ワクチンに対する懸念は単なる杞憂ではない。

ワクチンを接種するか、子宮頸がんのリスクを負うか。この強制的な二択は検診率や検診精度の向上、別の安全な予防方法の確立等を考慮しない時にのみ成立する。

医療の本来の目的は、利権や財源の制約を受けることではなく、病気の予防・治療である。

患者に強制的な二択を強いる「医療」は、自己責任の政治の結果、医療を公的に行う仕組み(国民皆保険制度)が崩壊したことを意味している。

今や公立病院の6割が赤字であり、健保組合の6割超が赤字で4割強が保険料率10%以上で存続が危うい状況である。

高齢社会なのだから仕方ないというかもしれないが、高齢化率が日本より低いアメリカやフランスよりも医療支出の割合が少ないので、問題は過剰医療による財政圧迫ではない。問題はもっと抽象的な観念の領域にあるのだ。

自己責任論や緊縮マインドは個人にとって観念的な問題であり、広く政治的な課題でもあるが、同時に社会や経済にも決定的な影響を与えている。そのため原因を個人の心理的な背景に還元することができない。

医療行為を受けるときの漠然とした不安感は、個人で抱えながら個人の心理には還元されない病気という負債が個人の意識に疎外として跳ね返ってしまうためである。