「超高層のバベル」見田

「重要なのはマスコミがなぜ報道するのか(p185)」というがサカキバラ事件のような不可解な事件を取り上げるメディアの不可解な権力性には無自覚である。

見田の社会分析には階級構造がすっぽり抜け落ちている。それが社会学という分野なのかもしれないが。

有限性の哲学と称して昆虫と植物の共存が「非西洋的なありかた」として賞賛されるが、「シノモン」や「誘惑」がイチジクコバチのような個体の生命にとってどれだけ残酷な結果を伴うかは捨象されている。

ゴーギャンが犬と人間たちが共存してゆったりした世界(p245)」を描いているというがそこには犬のように家畜化されなかったニホンオオカミのような絶滅種や犬や人間の食料として生産される家畜の存在はない。ゴーギャンが描いた理想も第二の軸の時代の産物ではないのか。

また東側諸国が「崩壊」したことで収斂理論のような東も西も批判していたような立場が「ノープロブレム(p218)」となった西側によって無力化してしまったと嘆いているが、結局のところ資本主義でも共産主義でもない理論は東西冷戦の構造に依存しており、西側の論理に「収斂」してしまう程度の脆弱な論理しか持ち合わせていなかったと思われる。見田の有限性の哲学も西側=資本主義の論理を強化するためのものだからこそ、「新しい価値観」の階級性には無自覚なのだろう。