「後期資本主義における正当化の問題」ハーバーマス

後期資本主義で起きている危機は正当化の不足ではなく正当化そのものの欠如である。この場合の正当化とはシステム制御の危機に対応する社会統合の危機を解決する手段と考えられる。ハーバーマスが最後に「古いヨーロッパ風の人間の尊厳を犠牲にして安定することに対して、戦いを始める決意」をするがそれ自体がシステムの安定化を目的としている以上、このような「理性に与する党派性」は部分システムと化した社会統合に与したのだろう。ハーバーマスは階級支配の政治的匿名化を肯定している点でルーマンの普遍的な機能主義と変わらないのである。結局のところ「人間」などいないのである。

環境複雑性が縮減すると同時にシステム複雑性は拡大するというがどちらも自然過程である以上は、環境問題を見ても分かるようにシステム複雑性を縮小させるために環境複雑性を再び拡大させるような退行現象が起きる。

民主主義の「危機」が公然と叫ばれるようになった現在において、ハーバーマスの「コミュニケーション的倫理のみが普遍的で自律を保証する」という考えは民主主義が民主主義を否定したという点で興味深い。おそらくそれが最後の基礎付けだろう。システム制御そのものの存続が当のコミュニケーション自体によって攪乱され始めており、このようなコミュニケーションを消滅させるためにルーマンの言う権力と真理の融合をグローバル資本のレベルで普遍的に実現させてしまっているのはハーバーマスルーマンの皮肉である。