金融自由化と社会の右傾化

1996年に橋本内閣が金融ビッグバンを提唱し98年に金融監督庁が分離される。93年に定期性預金、94年に流動性預金金利が自由化され臨時金利調整法以来の金利規制が撤廃される。以降、外部資金調達における直接金融の割合は増え続けている。

この下部構造と並行して自民党の右傾化が進行する。96年につくる会が結成、97年に安倍晋三が事務局長を務める教科書議連が設立、同年には日本会議日本会議国会議員懇談会も設立される。

94~98年にかけて現在に至るまでの新自由主義=右傾化の流れが決定されたとみることが出来る。

特に97年は就労人口や可処分所得の減少が始まり、94年に高齢社会になった影響が実体経済にも表れ始めた年でもある。

個人の自己責任が強調され、格差の拡大が競争の結果として肯定される社会では可処分所得の減少や生産拠点の海外移転等の経済的社会的変動に個人が批判を加えることは難しくなる。

安倍晋三の教科書議連やつくる会自虐史観批判とは、要するに「自己責任」史観である。歴史認識の問題を当時の戦争被害者や植民地の犠牲者の「自己責任」として矮小化し、強制連行や慰安婦問題を生み出した日本政府の国家責任や日本企業の社会的責任を認めないのだから。彼らにとって徴用工問題や慰安婦問題は歴史認識や政治権力の問題ではなく、プロ市民「個人」の反日工作としてしか理解されない。

つくる会系の右傾化した歴史観は貧困や格差の問題を個人の努力不足に歪曲する新自由主義政策の一環であると言える。

85年の臨教審答申では「自己責任の原則」が強調されるとともに画一化を打破するために「個性の尊重」や「個人の尊厳」が提起されている。

しかし現在、官製春闘で賃金を上げ、4割の労働者はサービス残業を行うような画一性=同調圧力は健在である。何か問題が起きれば自己責任が強調される一方で、個性や個人の尊厳は空文となった。

自立した個人というより自動機械となった個人は国籍差別・身分差別・性差別等の分断統治によって貧困を強制されている。

個性や自由を尊重する近代化=成熟の前にバブルが崩壊しデフレ経済に突入したことで自己責任の論理が画一的な社会に適用された。その結果、個人の尊厳を保障するはずのセーフティネットは自己責任の論理によって徹底的に破壊され、年金制度への極度の不信感に象徴されるように、もはや誰も社会の持続可能性を信じなくなったのである。