テクノロジーが介する性関係

トランス女性をレズビアン女性が受け入れないという「滑りやすい坂」議論は社会的性関係と個人的性関係の混同であるが、トランス女性に対する差別の根底にあるのは性事実(セックス)による性意識(ジェンダー)の搾取である。性の想像力を性の事実が搾取する構図はすべての人間に当てはまる。つまるところあらゆる性意識は個人的なものにせよ社会的なものにせよ性関係・性事実の結果であり、同時に別の性関係・性事実を生み出すための一工程としか考えられていないからだ。

人は個人的性関係の結果性事実として生まれ、生育過程で性意識を獲得する。この従来的な性規範が現在の社会的性関係である。LGBTという性意識の揺らぎは従来的な性規範の基盤を掘り崩す。問題なのはこの時性事実が持っていた「個人を超えた本質」の変化である。

従来の性規範では個体の限界は子供を生み出すという個人的性関係の社会化によって超えられていたが、多様な性意識に基づく社会的性関係はテクノロジーによって存続すると思われる。(子供を残さない個は性規範として承認されるわけではない)

トランス女性を男性と区別するのは医師の診断記録と個人識別技術だと考える。診断と識別を結び付ける管理社会のテクノロジーが多様な個人と画一的な社会とを繋ぐ普遍的な役割を担う。

人間的本質力は個人―社会や事実―意識の矛盾を社会的性関係に動力として組む込むことで今まで存続してきた。多様な性意識によって増加する個人的性関係は性意識の範囲を超えて存続形式の質的変化を促す。テクノロジーが分析・精査した上で類的本質は一層効率化され、性事実の生産過程は個人の性意識をほとんど素通りするだろう。