大衆の反逆 オルテガ 

大衆は少数派に対立する平均人で、あらゆる階級に存在する。平均人とはすべての人と同じだと感じる人間を指し、現代〈1920年代〉とはこの平均人が自分が凡俗であるのを知りながら敢然と凡俗であることの権利を主張し、社会的権力を得た時代とされる。

大衆が自分を凡俗だと認識しているなら「いかなる人間も自分よりすぐれているとは考えない習慣」を大衆が身に着けているのはおかしいと思うが。オルテガにとっても大衆云々はあまり重要な問題意識ではないのかもしれない。

量的に拡大した大衆の質的な変化におびえる保守知識人の妄想と片付けることはおそらく正しいわけだが、人民投票が国民国家の根本原理という考えは簡単に否定できないだろう。国民国家が形成されるにあたって血縁や部族よりも広範な理念が投票によって裏付けられたのは事実であるから。

しかし人民投票が共通の未来を決める手続き、デモクラシーの健全さの指標ではなくなったとしたらどうだろう。大衆の直接行動が人民投票の不信感に由来するなら、「決断しないことを決断」している一見満ち足りた時代感覚は「純粋な瞬間からなるあらゆる生」や「哲学的逡巡」が無効になってしまった社会の絶望でもあるだろう。

「過去にはそれなりの正当性がある)」というオルテガの言葉に従えば、間接民主制への疑惑による大衆の野蛮な直接行動も過去の正当な回帰なのではないか。