「ニュー・アソシエーショニスト宣言」柄谷行人

社会主義ロシア革命以降のイメージから脱却させるのが本書の目的である。柄谷は新しい社会主義をアソシエーショニズムと呼んでいる。アソシエーショニズムは内在的運動(マルクス主義)と超出的運動(アナーキズム)の綜合であるが、柄谷の関心は超出的運動にあると思われる。

柳田国男が着目した朱子の社倉や憲法9条=徳川の平和を新たな社会主義(アソシエーショニズム)の源泉とする「事後」的な見方であると同時にソ連的な社会主義とは異なる「事前」をも示している。

協同組合や地域通貨はアソシエーショニズムの超出であるが、交換様式A~Bと同一化することで疑似的資本=ネーション=国家に陥る可能性は普遍宗教の事例を見ても分かるようにかなり高いだろう。それでも交換様式D自体が存在することが重要だという主張は理解できるが全面化する過程が示されていない。NAMにおける電子的な地域通貨の失敗もそれが疑似的に資本=ネーション=国家を予期したからだろう。

カントが言うところの統制的理念もエンゲルスソ連の目的論とどのような差異があるのか(p33)。

欲望の断念が憲法9条という倫理を成立させたというが、自衛隊や安保など憲法に反する事態をも招いている非倫理性が同時に存在している(p155)

また柄谷は安保デモを可能にしたのは企業などの共同体と学生という層の運動を挙げているが、急速な近代化が個別社会や自生的集団を破壊し画一化を招いたのであれば安保デモも不可能である(p173)。