「人種と歴史、人種と文化」レヴィ・ストロース

「人種と歴史」が人種主義を標的にしているのに対し「人種と文化」はグローバリズムを問題にしている。2つの論考の間の「断絶」(p8)が問題にされたというが、重点が移動した背景にある「世界文明」の変化を見失ってしまっては元も子もないだろう。

多様性の最適値としてロシア語が他のスラヴ系言語ではなくモンゴル系やトルコ系に近い形に変化している事例が挙げられる。レヴィ・ストロースにとって多様性は集団の孤立ではなく集団を結びつけている諸関係の関数である。(p34)

人種主義への批判として大アンティル諸島バロック的悲劇を取り上げ、野蛮人とは野蛮が存在すると信じている人であると例証される。ニムエンダジュのために涙するインディアン(p108)と産業革命の先取によって西欧の優越性を主張する差別主義者は同列の野蛮人ではないと考えられる。

同一部族内の方が遺伝的差異が大きい事実(p118)と一夫多妻制が一夫多妻制を生む過程(p120)には矛盾があるが合わせて考えたとき人種主義とは異なる優生思想に結び付く。

世界文明がそれぞれの文化の独自性を保ちつつ世界的尺度で連携すること(p91)とされるが一夫多妻制のように文化内部のヒエラルキーは黙殺される。

打製石器の偶然性を否定しながら西欧文明の産業革命先取は偶然として処理されるが、これはレヴィ・ストロースの西欧に関する理解が打製石器ほどに及んでいないと思われる。

「仏教圏の極東は人類全体が継承し、または、教訓とするべき掟の継承者である(p139)」というアジア観はあまりにもナイーブであり、メタ宗教である仏教の政治妥協的性質を表現できているとは思えない。

レヴィ・ストロースの中で世界文明の最適値と破壊は危うい均衡を保っている。