情動の社会学 伊藤守

原発の情動が尖閣問題の情動に取って代わられた原因やプロセスについて十分に語られていない。問題は情動的解釈項の違いがどこにあるかである。

同じく意識的知覚だと言ってしまうと、反原発の命題よりも尖閣問題の命題の方が情動的事実として優先度が高いとなってしまう。

好きと忌避が創造的活動を促進するといっても創造の方向性はまったく違う。この違いについての判断が必要になると思うが、ホワイトヘッドの考えでは判断的感受は命題的感受の下位区分に過ぎないのだから、命題の優先度が高い情動を抑圧の手段として使うことに対して無抵抗にならざるをえない。

情動が主観でも客観もない純粋経験とともにあるなら、情動や純粋経験の違いを判断しないということになる。