歯車 芥川龍之介

「歯車」の本質は反復による自己表出の拡散・消失といえる。スウェーデン人の白黒のネクタイと出版社に依頼された日本人女性の白黒の印象、姉の夫=レエンコオトの幽霊と私と帝劇で目撃された私の間で起きる二重の反復は姉の夫の轢死=作家の死の予兆として受け取られ、作家は実際その通りに行動せざるを得ない。

文学体から下降する際に希薄化される文学の価値は過剰な意味「雑色のエナメル」によって取って代わってしまうため、作品の中で言及される文学作品や作家の物語的時間は歯車に代表される「光のない闇」の空間の表出として作家に拒絶されている。

指示表出に転化してしまった自己は相対化され最終的には無機物に分解されることで表出の空間、雑色のエナメルと等価になる。拡散する物質空間と自己表出が等価であるという認識は文学体の死=話体への解体を意味する。

「どうもした訳ではないのですけれどもね、ただ何だかお父さんが死んでしまいそうな気がしたものですから」という妻の台詞は妻にとっても何かの反復=死の予兆があったらしいという言外の含みであり、作家の相対性が極限に行きついた証明でもある。