露出せよと現代文明は言う 立木康介

子どもの中に堅固な闇を作るというが、抑圧がなくなった結果無意識も存在しないのだから主体の再構築は反動だろう。現実界に侵食された象徴界から「身を守る」ために症状を創造的に使い人生を切り開くという解決策はあまりに主体に重きを置きすぎている。むしろ象徴界の破れ目を通じて現実界が侵食しているのであれば、逆も可能なのではないか。

新自由主義エビデンス手続きの改竄などの問題から考えるべきは光自体の良し悪しではなく光をどう照らすかである。現に筆者は改竄されている事実を部分的であれ光の下で把握できている。

象徴界が衰退した結果、享楽が汲みつくされた後の症状を心や主体といった言葉で肯定する必要はない。人生の意味やら創造性云々とは関係なく症状は症状だろう。