「コミュニズムの仮説」バディウ

バディウによればコミュニズムの理念とは「彼自身の家から遠く離れた場所、日常の規則化された生活様式のパラメーターとは遠く隔たった、例えばマリ人の労働者の宿泊所、あるいは工場の入り口などに連れて行く(p205)」という類いの「真理の場所を決定する運動(p192)」としての主体化に必要な操作であるとされる。「連れて行く」操作とは68年5月以前にバディウ自身がショーソンの工場に赴き、そこで交わされた非公式な形の議論が前提にあると思われる(p59)

「ローカルな意気投合」は後にショーソンの連帯基金やUCFMLに結び付いたと説明する(p59)。パリコミューンや文化大革命に対する共感とロシア革命ソ連マルクスの権力理論への反論もこの非公式な議論に発しているのだろう。

しかしバディウも認めているように「敗北は、それが仮説の放棄を導かない限り、仮説の正当化の歴史以外のなにものでもない(p18)」とするなら「理念の勝利が問われているのではない(p210)」という言明は敗北やその正当化の仮説自体の目的化になってしまうと思われる。

つまり「始まりとは、それが再開を可能にするということによって測られる(p179)」という意味での始まりは「その儚さに忠実な仕方で永遠とならなければならない(p206)」とする感傷的主体化の中で永遠に繰り返される失敗とならざるを得ないのである。

「真理の生成過程と歴史的事実とのあいだのイデオロギー的な関係が問題である以上、なぜこの関係を極限まで推し進めることに躊躇する必要があるのだろう(p201)」という視点は「コミュニズムの理念は常に国家権力を免れた一つの政治のなかの現実的なものをもうひとつの国家という歴史的形象のうちに投影」し「国家権力からの免れ」を「内在的なもの」として主体化に投影している。現実界(政治)と象徴界(歴史)の間にあって想像界イデオロギー)は理念たり得るだろうか。