「山の人生」柳田国男

古来より民衆は山人と共にありこの2つの世界〈顕冥両界〉を繋ぐものが一つの餡餅であった。各地で信仰される草履型の道祖神、足跡に伴う伝説ダイラボッチ、山丈・山姥との交流等は良くその内を見てみれば山人と定住民が近接した世界で生きるために、お互い干渉できない境界線を必要とした時代が生み出した伝承である。そしてこの共生は、神隠しや鬼の子殺し、山丈を火にかけて赤くなった小石で追い払う残酷さを暗に含んでいる。神隠しに遭った女性は桃の木の下に草履を揃える。この行き場のなさは、神隠しが単なる行方不明として届け出られる時代においても理解できるだろう。

柳田国男高天原から降りてきて、大正4年の御大典から若王子の山の煙に目を向ける時、天皇制の限界があらわれている。ただ火の美感やら穀物の味の欠如が山人の永遠の幸福を奪い去ると言う時、山人は柳田の欲望の対象だろう。ここには山人を定住民に同化するための強力な論理を見出すことができると同時に、天皇制とも矛盾していない以上、山人の欲望化=天皇制の相対化と理解するだけでは不十分なのである。